「生活とスパイス」を運営しているにこぞうと申します。
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にこぞうのプロフィール
千葉県生まれ、千葉県育ち、頭の先から爪の先まで千葉っ子成分たっぷり。
1989年6月生まれ。「平成」が生まれたと同時に産声を上げました。ギリギリ昭和の風を味わえなかった平成人間。
週5は会社員として働き、ブログ運用をしています。
意外とモノ作りが好きだった幼少期
制作物としてのセンスはないが、何かしらの物を作るのが好きだった幼少期。
ダンボール・トイレットペーパーの芯は遊び道具。
セロテープは神、
ガンプラ・ミニ四駆も沢山作ってた。
体を使って遊ぶのも好きでしたが、工作という手を使って遊ぶのも好き。
意外と体を使う遊び、というかスポーツも嫌いじゃない
引っ越しの関係で、保育園から幼稚園に入り直した時、週1でプールの時間がありました。
ビニールプールで水浴びではなく、詳しいこと分からないですが、幼稚園がスイミングスクールと提携していたのか、週一でその施設に通い、水泳を習っていました。
小学校に上がり、その流れで5年生までは水泳を続けていたので、体の基礎は完全にここで作られました。
他にも小学校には1輪車があったので、何故かみんなで乗れるよう休み時間は猛練習したり、小学校5-6年でミニバスを習っていたり。サッカーチームに入ってる友達も多く、休み時間がサッカー率が高かったり。
とにかく休み時間も駆け回ってた。
小学校6年にあがると、中学受験をする人でてくる。
たまたま自分のクラスは受験を考えてる人が多く、担任の先生が「受験生は1年間勉強を頑張る、それ以外の人は何もしないのは良くないから毎朝走ろう!」と提案。
まぁ、強制じゃないから自分含めて初めは4-5名校庭1周(400mくらい)を走るレベルでしたが、それが人が集まり、走る距離も伸びて。
しまいには、1周700mくらいの距離を4-5周するようになり、6年生だけじゃなく、5年生、4年生も参加するようになりと大規模になぜかなっていました。
この毎日のランニングで体力がつき、中学の部活は陸上部へ繋がるきっかけとなりました。
放課後、友達と遊ぶのも、ゲームとかも楽しかったけど、圧倒的に外で公園で走り回る事が好きな小僧でした。
中学〜高校は人生の迷子期
中学〜高校は、思春期・反抗期。
しかもコミュ障。って会話の仕方が分からない。人生史上最も荒れていた時代…
小学校の卒業と同時に引っ越しをしたので、中学校では誰一人として知り合いはいません。
親いわく「中学そんなもん、どこの中学に言っても同じ」…んなわけ無いじゃん!!と初めて「会話にならない大人だ」と自分の親に対して思ったこともありけり。
この反抗期を経て、今の自分の思考経路は確率されていったので、良くも悪くも必要な時代だったんだと。
勉強はできなかったけど、その割に物事をちゃんと考える環境はあったのかもしれない。
コミュ障というのも相まって、対面すると全然話せないから、それを補うかのように、脳内思考は沢山していた…記憶があります。
右も左も知らない人で、自分の居場所なんて無かった時に、陸上部が1つの居場所ができたのは心の救い。多分これが無かったら不登校になっていたかも…しれない。
その反面、クラスの人とコミニュケーション取ることが苦手で、クラス生活をそつなくこなすのが結構た大変な中学時代でした。
高校時代も平凡な生活を送る
中学では全然勉強してこなかったので、偏差値的には低い高校に入学しました。
とはいえ、高校では「赤点制度」があります。いままで勉強してこなかったから…やばいじゃん…という変な焦りを感じ、ここからやっと「勉強する」という事を学ぶことになる。
進研ゼミ高校講座を初め、コツコツと勉強していくと、意外と成績があがり勉強楽しいかもと感じるように…
入学した学校が偏差値が低かったってのもあるけど、成績が上がるのは悪い気はしませんでした。
高校1年で陸上部に入部しましたが、同世代は自分1人。
全員先輩です。
高校2年に上がり、先輩が引退すると同時に僕も引退して、陸上とはさよなら。
あとは、大学も一般入試で受験し進学。
大学時代に「パソコン」と知り合う
情報系の学科に進学したので、進学と同時にパソコン必須の大学でした。
パソコンは超苦手…だけど社会にでたらパソコンは使えないとダメだろうと思い勉強してやろうという気概はありました。
また、入学してくる人も「オタク」ばっかりであり、当時の自分は「オタク」に免疫なんてない。
なんか異質な人たちがいる…これが正直な感想。
そもそもね、パソコンの操作もおぼつかない人間が、いきなり大学でプログラミングとか受けてもわからんのですよ。
必然的に「オタク」くん達に教えを請うようにないり、逆に一般受験である程度の学力はあったので、数学系とかそこら辺の講義は教えたり、持ちつ持たれつとなった結果…
オタクくん達の趣味である、漫画・アニメ・ゲーム…まぁ染まりますわな。
ニコニコ動画全盛期、様々なネットミームにふれたり、発達仕切っていない・子どもには見せられる内容ではない、インターネット社会に触れるきっかけとなり、どっぷり浸かった4年間。
社会人1年目
株式会社●●の次にスペースと打つと「ブラック」とか「社長 やばい」とか、そんなサジェストが出てくる会社に入社。
ブラック企業典型の、大量採用。毎月20名ほど新人が入社していた記憶があります。
就職したのはIT業界。
この業界は、お客様先に出向して、そこで常駐してい仕事をするのが一般的です。
雇用契約は正社員ですが、つまるところ派遣。
常駐先が決まるまでは、WiFiルーターの飛び込み設置。
今となっては店内でWiFiが使えるのは当然ですが、docomoが無料WiFiの各店舗に設置し始めた当時だから、今となってはだいぶ昔の話。
1台4kgを4つ担いで、設置できなければ先輩にドヤされ…
ロープレとかもあんまりなく、ほら設置してこい!といきなり放り出され、当日発表されるエリアを朝から晩まで駆け回る日々、
事前にアポなんて取ってなくて、いきなりピンポンしたり、営業準備中の店に「すみませーん」と入りにいって、事情話して設置してもらって。とういのを2ヶ月やって開放。ここで少し度胸つく。
その後はコールセンターに配属され、このままでいいのか?と思い転職を決意する。
転職2社目:ここもIT業界
ここは1年位でやめた!
出向先の人とほんとに合わなかった…挨拶しても挨拶が返ってこなかったり、事務所全体が照明自体からちょっと薄暗かったり。
ほんとに「なんか無理だわ~」という感じで。
仕事を直接教えてくれた人もいるんですが、その人の体臭がエグいことエグいこと…。
人を凄く馬鹿にするし、仕事中寝るし、やたらとその人とペア組まされるし。
それにプラスして「IT…嫌いだわ」と。
プライベートで使う分のパソコンは好きなんだけど、これがプログラミングとかネットワークをいじるとか、そもそも大嫌いだった。大学時代からもそう思っていたけど、情報系の大学でたし、みんなIT業界に就職してる。
だったらIT業界かと、業界選択に関して自分の意志は0だった。
思い切って早々に見切りをつけて、脱ITをしようとおもい転職を決意。
転職3社目:全く別の業界を目指す
転職活動は半年と少し時間をかけました。
何かやたらと説明会に行ったり、試験・面接うけたりするも、ピンと来る企業なくて、こちから選考辞退した企業もあれば、お祈りされた企業もいたり。求人サイトはほぼ毎日チェックしていました。
その中、ちょうど目に止まった求人が良さげな感じがしたので応募。
説明~面接を受けて無事内定。
2024年時点で9年目…こんなに続くとは思ってませんでしたが、色んな経験をさせてもらってます。
社会人になって初めての趣味、それがバイク
社会人になって、初めて趣味ができたかもしれない。
それが「バイク」。
車の運転が大嫌いの自分が、YouTubuで上がってきたバイクの動画を見て、なぜか感化されてしまった。
そのタイミングが、2社目を辞めるか否かの時。2社目を辞める時に教習所に通い始め、やめてから一気に教習を進め免許を取得。
その流れでバイクの購入に至りました。
父親にブチギレられつつも、家族の意向を無視して、無理やり自分で契約しに行ったのも良き思い出。
意外と行動力があったようです。
今は大型バイクの免許を取得し、リターンライダーとして、バイク生活第2章を満喫中。